ご存知ですか?『ムンプス難聴』       チャイルドヘルス第9巻・第7号掲載原稿

              近畿外来小児科学研究グループ(KAPSG)
                   橋本こどもクリニック 橋本裕美

 みなさんは『ムンプス難聴』という病気をご存知でしょうか? ムンプスとは別名おたふく風邪、あるいは流行性耳下腺炎のことです。ムンプスの合併症として、髄膜炎や睾丸炎はよく知られていますが、高度の難聴になる事もあるのです。まずはユウタ君のお話をしましょう。

ムンプス難聴って何?

  6歳のユウタ君は、夏休みのある日電話に出ましたが、何も音がしません。なんだ、いたずら電話だと切ったところ、すぐにもう一度電話がかかり、今度はお母さんが出てみると、いたずらではなくおばあちゃんからだったと分かりました。ユウタ君の耳がおかしいのかしらんとお母さんは翌日耳鼻科に連れて行きました。聴力検査の後「左耳は正常ですが、右耳は全く聞こえていませんね。高度感音性難聴です。」「ええ?だって春に入学時検診で耳の検査も受けたけれど何も言われませんでしたよ。どうして?」「特にけがや病気をしなかったのですね? おたふく風邪にはかかりませんでしたか?」 「おたふく風邪には2ヶ月前にかかりました。それが何か、関係あるのでしょうか?」とのお母さんの問いに、耳鼻科の先生は言葉を濁して、検査のために総合病院の耳鼻科に紹介してくれました。頭のCTや血液検査、聴力検査を受けた後、病院の先生は「おそらくムンプス難聴でしょう。右耳は(ろう)で、お気の毒ですがムンプスの場合は回復する見込みはほとんどありません。左が聞こえるのですから、そちらを大切にする事ですね。」

 お母さんは頭の中が真っ白になってしまいました。ロウって?なんでしょう?聴神経が破壊されているので、大きな音でも全く聞こえないのだと先生は説明してくれました。何とか治せないのですかと重ねて先生に尋ねても、「希望でしたら突発性難聴と言うやはり急に難聴を起こす病気の治療法である、ステロイドの投与療法を試してみてもいいですが、あまり期待はできませんね。」と気の無い答えしか帰ってきません。とても納得できず、お母さんは大学病院にユウタ君を連れて行きました。しかしそこでも同じこと。この難聴はもう治らないと言われました。少しでも可能性があるならばと、入院してステロイドの注射を受けましたが、何も変わりませんでした。

 ユウタ君は見た目には何の障害もありません。片方の耳が聞こえるから授業も大丈夫です。けれど、うっかりと聞こえない方から話しかけられると判りません。お母さんは、もしや車の音に気付かないで車に轢かれやしないだろうか?聞こえていないのに無視をしたと、いじめられないだろうか?心配でたまりません。 どうしてこんなことになってしまったのでしょう?ムンプスがこんなに怖いと知っていたら、予防接種を受けさせていたのに。小児科にかかったときもこんな怖いことがあるなんて何も言われなかったのに。

ムンプス難聴は本当にまれ?

 ユウタ君のお母さんの言うとおりです。どうしてこんなに怖い病気なのに、誰も教えてくれなかったのでしょうか? それは、難聴の合併がムンプスにかかった人の1.52万人に1人程度のとてもまれなことだと医者や専門家でさえも信じていたからです。しかし、実はムンプス難聴の頻度はもっと高く、数百人に1人の割合でムンプス難聴が発生したという報告が、最近いくつもでています1)。本当のところどうなのか、私たち近畿外来小児科学研究グループ(KAPSG)でムンプスにかかってから2週間聴力を調べる調査を行なっているところです。2006年末までが調査期間のため結果はまだ出ていませんが、確かに少なくとも数千人に一人は難聴が発生しており、これまでの1.52万人に1人という定説は改めるべきだと考えています。

 どうしてこんなに発生頻度の報告に差があるのでしょうか?それはムンプスの持つ特殊な性質によるものです。

ムンプス難聴の頻度がわからないわけ

 まず、流行性耳下腺炎といいながら、実はムンプスで必ず耳下腺が腫れるわけではありません。患者の咳などから飛沫感染で身体に入ったムンプスウイルスは、のどで増えてから血液に入って全身を回り、耳下腺や髄膜、睾丸、すい臓、内耳など、このウイルスに親和性のある組織で再び増殖、炎症を起こすのです(1)。耳下腺炎を起こすことが約70%と一番多いのですが、耳下腺は腫らすことなく髄膜炎を起こすこともよくあります。感染しているのに目立った症状が無い「不顕性感染」が3040%と多いこともムンプスの特徴です。不顕性感染であっても他の人にうつしますし、難聴になっていることもあります。

 また一方で、ムンプス以外にも耳の下を痛がる病気があり、初診時には見分けがつかないことも珍しくありません。血液検査でムンプスかどうか確かめられるのですが、医者も保護者もムンプスのような軽い病気にそこまでする必要は無いだろうと考えることが多く、ムンプスの診断があいまいにされてきた傾向があります。この両方の理由から、ある集団で何人がムンプスに感染したのか、正確に知ることはとても困難なのです。

  第2に、ムンプス難聴では多くの場合片側の耳だけが難聴になるため、子どもでは難聴になっていても気付かれないことがあります。ムンプスにかかってから時間が経って発見された場合や、不顕性感染だった場合にはムンプス難聴と判断できません。原因不明の難聴とされた中にムンプス難聴がかなり含まれていると考えられています2)

 第3に、ムンプス難聴は耳鼻科と小児科の複数の科にまたがるため、小児科では患者さんがその後ムンプス難聴を発症したと知らない場合がありますし、耳鼻科では難聴になった人だけ診てムンプス全体の数がわかりません。

 このようにムンプスにかかった人の数も、難聴になった人の数もどちらも把握しにくいため、頻度を求めることが難しいのだと考えられます。しかしムンプス難聴の頻度がはっきりしていなくても、実際のところ後天的に感音性難聴をきたす原因として、ムンプスは最も多い疾患なのです。

大人がかかるともっと怖い

 もう1人、ムンプス難聴になってしまった32歳のキヨ子さんのお話も紹介しましょう。キヨ子さんは4歳の息子がムンプスにかかった2週間後に、急に耳鳴りとめまいに襲われました。耳の聞こえ方もおかしいようです。2日後に医者に受診して初めて耳下腺の腫れに気付かれ、血液検査でムンプスと確かめられました。聴力検査で左側は高度の難聴であり、治らないと言われました。今でも一日中セミが耳の中にいるような耳鳴りに悩まされ、少し忙しく立ち働くと、めまいと吐き気がするため、勤めも辞めてしまいました。大事な子どもや主人がこんなムンプス難聴になることを思えば、かかったのが自分で良かったと自分を慰めながらも、ムンプスにさえかからなければ、こんな病気があると知っていれば、と鬱々とした気持ちが晴れることがありません。

 ムンプスのような子どもに多い伝染病は、抵抗力を持たないまま成人すれば、子どもを持つ世代で感染することが珍しくありません。そして一般に成人の方が重症となりがちです。ムンプス難聴でも年少児では片側の難聴のみで生活に支障の無い場合が多いのですが、成人でかかると耳鳴りやめまいを伴うことが多くなります。

日本はワクチン後進国!?

 ムンプス難聴の問題点は、なにより程度が重篤で有効な治療法がないことです。しかも治療法開発の努力が世界中で競われているかと言うと残念ながらそうではありません。日本以外の先進国では、MMR(麻しん・ムンプス・風疹)ワクチンを徹底することで、既にムンプスそのものが過去の病気となっているからです3)。海外の学者からは、日本でムンプスワクチンの定期接種がされていないことを驚き呆れられています。日本は技術も資金もありながら、予防接種の分野では、世界から取り残された後進国なのです。

 どうして日本でムンプスワクチンの定期接種が行なわれていないかというと、1989年に一旦導入されたMMRワクチンが、副反応として予想以上に多くの無菌性髄膜炎を発生させたことが社会的な問題となり4年後に中止となったためです。ムンプス患者数の推移を図2に示していますが、MMRワクチンが中止されていなければ、ムンプスの流行は抑えられていたとうかがえます。無菌性髄膜炎というと一般の方には恐ろしく聞こえるかもしれませんが、ムンプスウイルスによるものは、後遺症の心配も無く1週間ほどで回復する予後の良いものです。ムンプスのワクチンは弱毒生ワクチンのため、神経組織に親和性を持つムンプスウイルスの性質上、ある程度の無菌性髄膜炎の合併はやむを得ません。髄膜炎の合併を減らすためにこれ以上弱毒化を進めると、ワクチンの効果そのものが低下する危険があります4)

 最近日本外来小児科学会で行なわれた調査によると、ムンプスワクチン接種後の無菌性髄膜炎の発生率は約2,100人に1人、自然感染では約80人に1人の無菌性髄膜炎の発生率であり、自然感染するのに比べてワクチンで髄膜炎を合併するリスクは1/25です5)。これは十分に有効で、安全なワクチンであると評価されます。

ムンプス難聴を無くすためには

 現在日本ではムンプスワクチンは任意接種として行なわれていますが、接種率は2030%程度に過ぎず、これではとてもムンプスの流行を抑えることはできません。この状態ではワクチンを接種していても周囲でムンプスが流行すると発症してしまう事が珍しくなく (3)、さらに不幸にもワクチンを受けていたのにムンプス難聴になってしまわれた方もあります。しかし接種率を8590%以上にあげる事が出来ればムンプスの流行そのものをなくすことが出来るのです。

 任意接種ではこれほどに接種率を上げることは不可能です。しかし仮に今、国が定期接種としてムンプスワクチンの接種を勧めたとすると、現状では「ムンプス難聴」という怖い合併症があると知る人があまりにも少ないため、当然発生してしまうある程度の数の無菌性髄膜炎に対して国民が過剰に反応してしまうことが心配されます。こうした事情により、日本ではムンプスに何の対策もとられないまま年間およそ100万〜200万人ものムンプス患者が発生しているのです。

 予防接種の必要性はリスク(危険性)とベネフィット(有益性)を天秤にかけて判断すべきものです。ムンプスでは一般には軽症であり、合併症として最も多い無菌性髄膜炎も重篤でないため、もしもワクチンによる無菌性髄膜炎をリスクと考えるのであれば予防接種の必要性が少ないと見なされていたのですが、難聴が無視できない頻度で発生するのであれば話は別です。ワクチンによる無菌性髄膜炎のリスクが多少あったとしても、ムンプス難聴を防ぐことができるのであれば大きな利益です。

 これ以上ユウタ君やキヨ子さん、そのご家族のように苦しむ人を増やさないためにも、日本からムンプスという病気をなくしてしまいましょう。それは可能なことなのです。このために最も必要なことは、本誌読者のように子どもに関心を寄せる人々が、子どもにとって何が安全で健康に望ましい選択なのか、偏った情報に惑わされず視野を広げ公正な目で予防接種を見直し、周囲にも正しい知識を広げていくことです。どうかムンプス難聴に関心を寄せ、正しい知識を持ってください。また最近ではムンプス難聴の患者・家族による情報交換の場があり、( http://www.geocities.jp/munpusu_nantyou/index.html )患者・家族の会発足なども検討されているようです。

これまでまれなものと片付けられていたムンプス難聴の実態解明に加え、生活支援や治療法の開発の助けとなるのではないかと期待しています。

 多くの人がムンプス難聴を知り、ワクチン接種を望むようになれば、ムンプスワクチンの定期接種はきっと実現します。ムンプス難聴のことを是非周りの人にも伝えてくださるようお願いします。

文献

) 青柳憲幸ら:ムンプス難聴、小児科37(11)1273-12791996

) 川島慶之ら:流行性耳下腺炎(ムンプス)と難聴、小児内科 37(1) 63-662005

) Galazka AM, Robertson SE: Mumps and mumps vaccine. Bulletin of the World Hearth Organization,77(1) 3-14, 1999

4)庵原俊昭:おたふくかぜワクチン、臨床と微生物32(5)53-55,2005

5)永井崇雄ら:ムンプスワクチンの副反応調査(最終報告)、厚生労働科学研究医薬品等医療技術リスク評価研究事業 安全なワクチン確保とその接種方法に関する総合的研究 平成15年度研究報告書 p306-316